幻覚幻聴から考えたこと

 幻覚幻聴の中に、世界中のさまざまな時代の人達が出てくるが、現代日本の国民のほとんどは、もはや人は人生で何か一つだけを盲目的に信仰して生きるしかない運命にある、という考えを強固にしている国民として、あらゆる職業 属性の日本国民が登場してくる。

私は現実社会において音楽ファンであるが、幻覚幻聴からは、音楽のファンは音楽にまつわるものに人生全てを投じて然るべき生き物として、それを認識していないライトな音楽ファンに対して、ただその一点のみが彼らの存在価値であることを強く押し付けるべきである、と思っているキャラクター達が連日連夜登場してくる。その押し付けるべき存在価値とは、究極には性愛ただ一つであると、幻覚幻聴の中では描かれている。

これはおそらく、心中寸前の人間達 または国家の様子を描いているのだろうと思う。彼らが「もう自分達はこの一点の日本文化のみにおいて性愛できる人間達だけで生きて、自分達の代で国を滅ぼすしかない」とする文化の中に、食文化が含まれていない。なぜ含まれないのかは、これまでにもブログで触れたが、現実社会で、軽い食中毒の蔓延が気付かれていないせいであると思う。重い食中毒の予防、注意喚起は各所でなされているが、コンビニなどで購入したおにぎりやパン 清涼飲料水を、食べる直前に加熱しなければいけないことは見過ごされている。数々の異物混入事件や消費期限改ざん事件などで食文化への信用 信仰は失墜してきたが、食前の加熱をした食事のあとの体の軽やかさを体験すれば、食文化への健全な熱狂が蘇生するはずである。

私の幻覚幻聴上でも、国全体が爆撃や売国による終末を回避した、と伝えられる日を待ちたい。


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