世の中でクレイジーとされる職業の人達(エンターテイメント従事者や議員、経営者など)や、世の中で失言したと叩かれている人達よりも、更におぞましいキャラクターとして登場するのは、そういった人達を叩く側の人達のほうである。 彼らは社会を、物理的に離れているために美や性の力に全く頼らずに加害行為を働くことができる遊戯性に満ちているべきものと強固に定義し、彼らの中では彼らの暴力衝動を誘発するのは絶対的に叩いていい人達にあると信じられ、殺人の完全な肯定を最優先課題とするのが人間の真の姿であると言わんばかりに、対象を追い込み死に至らしめる絶対無罪の享楽として出現し、所構わず多くの参加者を集めて興じるバケモノ達として、幻覚幻聴になっている。彼らの、自分達は社会で十分に称賛されていないという姿は、人知を超えた幻覚幻聴という超常現象の中で、日々これでもかこれでもかと激しく称揚されている。私も、私以外の人間(人間だけではないかもしれないが)の内側で、何らかのおぞましい幻覚幻聴になっているのだろう。